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2008年04月17日
京都不老庵、桜の茶会(2)
銀座不老庵の茶会は面白い。
俗に、世間で言う「お茶会」とは、些か、趣が違う。
まず、茶懐石といっても、奇想天外。
和食と、フランス料理が、交互に出てくる。
そして、その合間に、シャンパンやら、日本酒やらが、
次から、次へと、椅子席で供されるから、愉快である。
と、今回も、そのつもりで、伺ったら、
今回は、ものの見事に、
純粋の茶懐石。
しかも、お座敷で、座ったままの、4時間だから、まいった。
しかし、お料理は、実に見事で、感服の至り。
最初は、春らしく、きぬさや(絹莢)を添えて、ひろうすを炊いたもの。ひろうすとは、飛竜頭or飛龍頭 (ひりょうず)。まあ、簡単にいえば、関東のがんもどき。
器は、京都でしか使わないさくらの金銀蒔絵。
続いて、伊勢えびと帆立貝、ふきのジュレ。
つくしの頭がトッピングしてある。
器は、アンティークの春海バカラ。
明治時代、春海商店がバカラに特注したもの。
茶道具として作られている。
この当時は、バカラは、特注でのみ、生産していたそうで、
市場には、殆ど、出回っていなかった。
早川氏も、野村美術館で見ただけで、他では見たことがなく、今は値段がつかないくらい貴重の一品。
復刻版だけでも一つ100万円くらいするというから、驚きである。
続いては、お花見には欠かせない、豆腐の田楽。
赤味噌には芥子(けし)の実、白味噌には木の芽。
王朝人は、桜の季節、思い思いの重箱に、
色とりどりの山菜や、煮しめを詰めて、野山に宴をはった。
しかし、そうかといって、現代のように、保存食が豊富にあったわけではない。
そこに、飛竜頭だとか、田楽だとかが、弁当の中心になったのではないか。
そこに、春といえば田楽、桜といえば田楽となったのだろう。
そして、鯛の子の飯蒸し。
器は、アンティークでオランダのデルフト(Delft)。
江戸時代には、デルフトがたくさん使われた。
お酒は、伏見の富翁(とみおう)。
透明にちかい富翁ささにごり。
薄いにごり酒が、引き杯(さかずき)で供される。
日本酒は、やはり、引き杯が、いい。お酒の香がたちやすい。
続いて、蓬麩(よもぎふ)の白味噌仕立て。
器は、無論、桜の絵柄、桜の金蒔絵の雛椀(ひなわん)に盛られる風情は最高。
不老庵の白味噌は、何時頂いても、絶品。
雛椀は、お雛様のお節句に出される椀。
そして、次なるは、この季節の絶品。
塚原の朝堀り筍(たけのこ)のお刺身。
すだちとお塩、わさび醤油 どちらにても、満足。
器は、17世紀、寛文時代の日本の最高の陶芸家の一人
酒井田柿右衛門作。
まさに、贅沢の極み。
そして、
桜の季節のもうひとつのメインは、やはり、明石の桜鯛。
白磁と青磁の器に盛られた、
明石の桜鯛。
白すだちとわさびで。
京都でしか味わえない、季節の一品。
お碗の具は、
桜鯛を備長炭で焼いて、わかめと木の芽をトッピング。
お椀の柄は、夕顔の金蒔絵。江戸時代のもの。
夕顔は、朝顔とともに、夏に使うものだが、今年は源氏物語の千年紀で一年中使えると言う。
夕顔の君のご利益に与るとしよう。
続いて、トマトの酢の物が、
日本の明治時代のガラス器で供される。
そして、李朝時代の初期(500年)の白磁に乗せて、
明石の鯛の荒炊き。
ごぼうと木の芽を添えて。
塚原の筍と、明石の鯛のオンパレードで、春を満喫。
ここからが、趣も新たに、堀内料理長が、縁先で、
備長炭で焼いた焼き筍に、木の芽を添えてそのまま、醤油味で食べる。
贅沢なひと時である。
器は、永樂得全。
調べてみると、:永樂妙全(えいらくみょうぜん、1852年 - 1927年10月1日)は、京都の女性陶芸家。本名は悠。夫は永樂得全(14代 土風炉師・善五郎)。
続いて、近江牛のグリルと焼いたグリーンアスパラガス。
からしとわさびで、二つの味が楽しめる。
器は、中国明代の古染付(約500年ほど前)。
そして、蛍烏賊(ほたるいか)のぬた(酢味噌で焼いたもの)
器は古伊万里。扇面(せんめん)の染付。
そして、たけのこご飯とお漬物。
器は、江戸時代の古伊万里。
デザートは、ブランマンジェ、イチゴソース。
器は、バカラのアンティークアイスクリームカップ。
そして、主菓子には、ゆず味噌の桜餅。
ゆず味噌餡は平野屋製の特注品。
器は、江戸時代月蒔絵。
桜の葉ごと、春を食う。
お茶会の締めくくりは、冷たいお濃茶。
リキュールグラスで。
いやあ、まいった。
料理は、食材に尽きる。
しかし、その、吟味に吟味を重ねた食材を、
最高の腕利きの職人が、それこそ、腕によりをかけて供される。
しかも、絶品の器に盛られてとくるからたまらない。
かつて、魯山人は、自分のお料理を、最高の器で、供したいと考えたが、
主の反対にあって、実現できず、やむなく、
自分で、器を作るようになったと、聞く。
ここが、早川氏が、現代の、数寄者と言われる所以であろう。
それにしても、吟味された食材を、最高の職人の腕で調理し、
時代の、最高の器で、供される醍醐味は、筆舌に尽くしがたい。
しかも、京都不老庵の空気は、格別。
王朝人が、西方浄土と位置付けた、この嵐山、嵯峨野の風情を、
欲しいままに、堪能する。
そして、このお料理を、
早川氏が、解説して下さるのだが、これが、絶品。
能で言うと謡。
早川氏自身が不老庵で語るのは、素材に、適切な料理があって、付加価値をつくり、さらに器、適切な空間、適切な謡がそろって、更に、付加価値がふくらんでいくのだろう。
まさに、芸術。
バレンボイムが、サイードとの著書の中で、文学は、作者一人で、芸術が完結する。画家もしかり。しかし、音楽は、作曲者一人では、作品は成立せず、演奏者がいて、初めて、芸術として、完結すると、述べている。
しかし、最近では、これだけでも、作品は成立しにくく、プロデューサーの存在が重要である。
その意味では、料理の世界は、まさに、作者と、演奏者(料理人)、そして、プロデューサーの三者があって、初めて、芸術として、完結するのかもしれない。
かつて、井上靖先生と、お話をしていた時、音楽はいい。演奏が、その場で消えていく。その点、文学や、絵画は、あとに残るから、いやらしい。と、伺ったことがある。
料理も、まさに、消える芸術である。
お茶会のあとで、通された、野々宮の竹林をみる部屋は、もう、言葉を失った。
春の宴の思い出も、嵐山から吹く、春のそよ風に、野々宮の竹林へと、吹き消されてしまった。
遠くに目をやると、竹林に、うっすらと、雨のかおりが、煙っていた。
アンティークなワインのテイストビンに、花一輪。
巨万の富を背景に、ただ、贅沢を尽くしているのではなく、もって生まれた天性の才能に、
半生で培ったゆとりが為せる技なのだろう。
投稿者 hayashiya : 2008年04月17日 00:09