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2006年05月27日
半藤一利「昭和史」戦後編
JRの移動で、駅の書店で、2冊の本を買った。
1冊は、雑誌「Newton」の創刊300号記念「量子論」特集。
もう一冊は、半藤一利著「昭和史」戦後編。
「量子論」は、アルバート・アインシュタインが打ち立てた「相対性理論」と並ぶ、現代物理学の双璧である。「Newton」は、こういう難しい理論を、私でもわかるように、易しく、それも、美しく、解説してくれるので、ありがたい。
しかし、今日の、目玉は、何と言っても、半藤一利著「昭和史」戦後編だ。
半藤一利さんは、私が、もっとも、信頼する作家の一人である。
かつて、この前編「昭和史1926→1945」を、書店で見つけたとき、狂喜して、読破したことがある。そして、今回の、後編「昭和史1945→1989」である。
昭和の時代。とんでもない為政者が、まことしやかに、笛を吹いて、日本人を、あらぬ世界へと、導いていった。しかし、事実を、知っていたのは、ごく一部の、人たちだけで、大半の国民は、それが、ハメルンの笛吹きだとは知らずに、付いていった。そして、そのことについての、解説書は、多数出版されているが、本当の核心を、体系的に、しかも、事実のみを記述して、見事に理論的に纏め上げた歴史書は、見たことがない。
この、半藤一利著「昭和史」前後編は、まさに、その名著である。
しかし、それにしても、日本人は、何と、無責任な国民なんだろうか。
かつて、司馬遼太郎さんが、述べているように、日本の誇る「武士道」は、日露戦争で、滅んでしまったのかもしれない。
あれだけ、惨憺たる失敗をしてきて、まだ、60年しか経っていないというのに、また、同じ道を歩こうとしている。
悲しいかぎりである。
投稿者 hayashiya : 06:48 | コメント (0)
2006年05月20日
軽井沢の森音楽祭&アート祭③
さて、昨日、書いた内容を、もう少し、角度を変えて、検証してみましょう。
1年間、12ヶ月を、同じ場所、例えば、ハワイに住んだとしましょう。
この人は、あの、ハワイの素晴らしい環境に、1年間、どっぷりといられるのですから、こんな幸せなことはありませんし、知識量も、ハワイ博士になれるほどの、豊富なハワイ通になれる筈です。
さて、今度は、この1年間、12ヶ月を、毎月、場所を変えて、12箇所に住むことを、考えてみましょう。
例えば、1月はハワイ、2月はシンガポール、3月は上海、4月はニューヨーク、5月はロンドン、6月はウィーン、7月はタングルウッド、8月はザルツブルク、9月はバリ、10月はパリ、11月はミラノ、12月はバンコック、と言う具合です。
こんな生活、お金が幾らかかるんだろう。不可能だよ。なんて、考えないで下さい。飽くまでも、仮説の話なのですから。まあ、一種のゲームです。
Aさんは、ハワイに、1年間。Bさんは、毎月場所を変えて、12箇所に1年間。
Aさんは、ハワイ博士になれますが、Bさんは、地球博士になれるでしょう。
これを、どう考えるかは、皆さん次第です。
投稿者 hayashiya : 04:07 | コメント (0)
2006年05月19日
軽井沢の森音楽祭&アート祭②
「軽井沢の森音楽祭&アート祭」を、実行する以上、意義というか、目的があるべきと、考えました。
最近では、日本全国に、優秀な音楽祭が登場し、毎年、華やかに行われています。
そして、そのどれもが、ひとつひとつ特徴を持ち、楽しい存在です。
その中にあって、「軽井沢の森音楽祭&アート祭」も、ここにしかない、いくつかの特徴を持たせ、全く新しい、提案をさせて頂こうと、考えたわけです。
例えば、ウィーン・フィルのメンバーの室内楽コンサートは、札幌へ行っても、草津へ行っても、ある程度、聴くことが出来ます。しかし、後藤泉という、一人のピアニストに、テーマを持たせ、これらのウィーン・フィルのメンバーをはじめとする、大勢の音楽家と共演させることにより、全く新しい音楽を作り出そうとしているのです。
まず、今回の企画を発表するや否や、各方面から、たくさんの、ご忠告やら、ご注意のご意見を伺いました。
その、大半のご意見は、「林屋は、無茶苦茶だ。これでは、後藤泉が潰れてしまう。」というものでした。そこで、このご質問に、お答えする形で、少し、お話しをすすめて行こうと思います。
普通のピアニストの場合、1年間に、1曲か、2曲のテーマ曲を選んで、多くても、3~4曲を選んで、コンサートプログラムを組むものです。少し、極論を考えてみましょう。
1年間に、1曲を、練習し、どこのコンサートでも、その曲を繰り返し演奏していく場合と、1年間に、毎月、テーマ曲を替えて、12曲を、発表していく場合と、どちらが、上手くなるでしょうか。
従来は、この前者が良いとされていました。
だから、1年間に12曲もやると、1曲あたりの、弾き込みが足りないなどと言われてしまいます。
しかし、本当に、そうでしょうか。
私は、必ずしも、そうではないと、思うのです。
1年間365日、もし、1曲をテーマに、練習を重ねていけば、確かに、この曲は、大ベテランになりますが、しかし、現実には、途中で、飽きがきて、だらけたり、嫌になったりするのではないでしょうか。
もし、一日の練習時間を8時間とし、1週間に5日間をみっちり練習をしたとします。そうすると、1年間では、260日、2080時間を練習にあてられます。もし、これを、1年1曲やれば、実に、1曲に、2080時間を投入するのですから、莫大な練習量を誇れます。しかし、もし、年間12曲を練習するなら、1曲あたりの練習量は、173,3時間しかなく、当然、1曲だけの場合の12分の1で、完成度も、12分の1のはずです。しかし、ピアニスト本人の集中度と言う面を考えると、そう簡単なことではありません。
1ヶ月間は、仮に、90%の集中度を維持できたとしても、同じ曲を2ヶ月間やれば、2ヶ月目の集中度は、間違いなく、最初の1ヶ月目より、落ちるものです。まして、3ヶ月目は、どうでしょう。こう考えて行けば、12ヶ月目の集中度は、押して知るべしです。つまり、1年間12曲にチャレンジする場合の、月平均集中度は、90%を維持できる可能性がありますが、1年間1曲に絞り込むと、月平均集中度は、例えば、80%とか、若しくは、70%に落ちてしまうということです。
(続く)
投稿者 hayashiya : 07:15 | コメント (0)
2006年05月18日
軽井沢の森音楽祭&アート祭①
2006年7月15日~30日と、8月7日~10日の、延べ20日間、「軽井沢の森音楽祭&アート祭」が開催される。総合プロデューサーは、私、林屋克三郎、がさせていただきます。
そこで、今、何故、「軽井沢の森」なのかということを、お話しさせていただきます。
今回は、その、第一話です。
第一話 リゾートからの文化発信
海外に目を向けると、ヨーロッパにしても、アメリカにしても、リゾート地からの、文化の発信が、目につきます。
フランス・カンヌの映画祭。そして、オーストリア・ザルツブルグ音楽祭。また、アメリカ・タングルウッド音楽祭。そのほか、数え切れないほどの、映画祭や、音楽祭が、世界中のリゾート地に展開しています。わが国にも、近年、幾つもの、音楽祭が、リゾートに出来てきています。そこで、弊社も、1999年以来、神奈川県箱根町に、「芦ノ湖音楽祭」を設立、今年で、8回目を迎えます。
そして、昨年、ソニーの前会長、大賀典雄氏が、ご自分の退職金を、すべて寄付されて、軽井沢町に、素晴らしい、音楽ホールを完成されましたのを期に、弊社も、今年から、「軽井沢の森音楽祭&アート祭」を開催させて頂くことといたしました。
ご承知のとおり、軽井沢町は、自他共に認める、日本一のリゾート地です。
そうである以上、そこで開催される音楽祭も、ベストメンバーに、お出で頂くべきということで、ウィーン・フィルハーモニーのメンバーを中心に、世界的に活躍されている方々から、人選をさせて頂きました。
そして、サブタイトルに、「ウィーンの森から、軽井沢の森へ」と、掲げさせて頂いたのです。
では、何故、そのアンサンブルの相手が、ピアニストの後藤泉、ただ、一人なのでしょうか。
その理由は、次回をお楽しみに。
投稿者 hayashiya : 03:37 | コメント (0)
2006年05月15日
人間の生きるルール
人間とは、どうして、こんなに、愚かなのだろうか。
一体、何のために生きているのだろうか。
実に、不思議に思う。
でも、事実だけを考えると、少し真実が見えてくる。
我々人間は、この世に生を得たとき、一糸纏わぬ、スッポンポンの素っ裸で生まれてきた。
そのとき、1円のお金も持っていなかった。
でも、なぜか、こうして、大人にさせてもらい、
今、何がしかの、生活資金を手に入れ、生かされている。
そして、死ぬとき、不思議なことに、1円の財産も、
あの世には、持って行けない。
いや、お金だけではない。
地位も、名誉も、財産も、どれひとつとして、あの世へ、持って行けないのだ。
それなのに、世間の人は、せっせと、お金を稼いで、溜め込んでいる。
不思議なことだ。
もうひとつ。
どの人も、どの人も、自分の生き方が正しいと思っている。
だから、他人を批判し、また、他人を攻撃して、いきている。
でも、不思議なことに、歴史を見てみると、
時代ごとに、正義が違う。
江戸時代に正しかったことは、明治になって、ひっくり返った。
明治時代に正しかったことは、第二次世界大戦後、
大きく、変わった。
戦前と、戦後では、正義は、180度違っている。
そして、今、また、大きく、正義が変わろうとしている。
それなのに、大勢の人たちは、自分が、正義の代弁者になろうとしている。
本当に貴方の生き方は、正しいのですか。
自分自身にも、そう問いかけている。