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2006年02月19日

音作りの醍醐味(3) 後藤泉のピアニッシモ

さて、昨日の続き。

技術は、所詮、技術。
大事なのは、心である。
心のない技術は、何の魅力もない。
何故か。
心のない技術は、正確なだけで、
コンピューターの演奏と代わりが無い。
聴いていても、どこか、冷たさが伝わってくる。

ところが、技術の訓練を、繰り返し、繰り返し重ねることで、
ある領域から、音に優しさが出てくる。
この優しさを表現出来る技術が、ピアニッシモの表現力なのではないだろうか。
無論、フォルティッシモも重要である。
しかし、私は、基本は、ピアニッシモだと思う。

ヘルベルト・フォン・カラヤンが存命の頃、
私は、屡、カラヤンの演奏を追っかけて、世界を飛び回ったことがある。
このときも、カラヤンと、ほかの指揮者の違いは、
ピアニッシモだった。
無論、カラヤンの、フォルティッシモは、最高である。
しかし、そのフォルティッシモは、
飽くまでも、ピアニッシモに、基盤のある、フォルティッシモなのだ。
これが逆で、フォルティッシモに基盤のある、ピアニッシモは、本物ではない。

後藤泉の場合も、このピアニッシモの表現力が重要である。
そして、この技術は、山根美代子先生の、秘伝だと思う。
ただ、それを生かせているのは、後藤泉の弛まぬ努力と、研鑽なのではないだろうか。
いくら、この手法を教えられても、
本人が、それを習得する努力をしなければ、どうにもならない。

後藤泉のコンサートには、必ず、アンケート用紙が配られる。
そのアンケート用紙を回収すると、ひとつのパターンが存在する。
1回のコンサートに、100枚から、~200枚くらいのアンケート用紙が回収されてくるのだが、
99%は、「感動しました」とか、「素晴らしかった」というものなのだが、
偶に、1枚、「何故、もっと強く弾かないのですか」とか、
「自己主張が足りない」とか、
「自信が無さすぎ」などというものがある。
特徴としては、その他の99%が、名前も、住所も、電話番号も、明記されているのに、
この、1%の批判は、名前も、住所も、電話番号も記載されていない。
しかも、殆ど、書き殴り状態で、見ただけで、心が痛む。
そこで、ある時、ウェルナー・ヒンクや、フリッツ・ドレシャルに相談したことがある。
応えは、明快だった。
「そんなこと、気にしなくていいよ。
後藤泉の魅力は、あの、ピアニッシモだよ。
あの音が、なかなか出せないんだ。
僕達が、後藤泉と、一緒に演奏したいのは、あのピアニッシモの音なんだよ。
あれは、自信がないのではないよ。
もっと、大きくピアノを弾くことを望んでいる人には不満なのかな。
アンサンブルというのは、まあ、一種の対話なんだね。
ヴァイオリンと、ピアノ。チェロとピアノ。
ある時は、恋を囁いたり、またあるときは、言い争ったり、
また、ある時は、一緒に、人生を謳歌したり、
また、ある時は、人生を悲しんだり。
だから、そのシーンで、思いっきりフォルティッシモのときもあるけど、
逆に、徹底的に、ピアニッシモのときもある。
後藤泉の特徴のひとつは、耳だよ。
彼女、物凄く、耳がいい。
だから、僕達が、変化すると、すかさず、それに着いて来る。
そして、僕達の動きを聴いて、
ピアニッシモになったり、フォルティッシモになったりするんだ。
彼女の弾き方を、自信が無いなんて聴くのは、間違いだよ。」

どうやら、このピアニッシモが、後藤泉の特徴なのかもしれない。
このとき以来、名前も、住所も、電話番号も明記されていない、
この手の批判には、耳を貸さないこととした。

続く。


投稿者 hayashiya : 2006年02月19日 05:11