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2006年02月17日
音作りの醍醐味 (1)これは事件だ。
いよいよ、ゲーデブラザースと、後藤泉の、ピアノクアルテットの第一回のコンサートがスタートした。
実は、2005年の夏のことである。
ダニエル・ゲーデと、築地のすし屋で、一杯やっているときのことだった。
音楽談義に花が咲き、どちらからともなく、
「どうせなら、楽しい音楽をつくりたいよね!」という話題になり、
「楽しい音楽」「新しい音楽」に、会話が集中した。
クラシック音楽の場合、「新しい音楽」を作ると言っても、ジャズのように、自由ではない。
例えば、ジャズの場合で言うならば、
同じ曲を演奏する場合でも、
演奏する日にちだとか、場所により、ある程度、自由に、
アドリブを入れることが許されており、
演奏日時と、会場が変われば、
全く、雰囲気の違う曲のごとくに演奏出来る。
だから、ジャズのCDを見てみると、同じ曲名が書かれていても、
その後ろに、何月何日の、何処何処の会場でのライブという表示が書かれている。
ここが、ジャズのライブの魅力である。
ところが、クラシックの場合、このあたりの自由がない。
だから、クラシックのファンは、ある程度、ある曲については、固定観念を抱きがちである。
しかし、例えば、オーケストラの場合、
ベートーヴェンの第七番を例にとると、
カラヤンと、バーンシュタインでは、演奏時間も、表情も、全く違うものである。
しかも、同じ、バーンシュタインでも、
若かりしときと、亡くなる寸前の演奏では、全く表情を異にしている。
つまり、クラシックの場合でも、実は、演奏日時と、会場により、
全く違う音を作り出しているのである。
もう少し、掘り下げていくと、
同じウィーン・フィルのメンバーでも、ウェルナー・ヒンクと後藤泉のデュオと、
ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルクと後藤泉のデュオでは、
同じ曲を弾いても、全く、雰囲気が変わってくる。
ここが、音楽の音作りの魅力なのではないだろうか。
今回、ゲーデブラザースと後藤泉のピアノクアルテットの面白さは、ここにつきる。
だから、今回の宣伝用のキャッチコピーに、
「これは、事件だ」と、謳ったのである。
ところが、ある友人から、
「クラシックで、このコピーを使うのは、不適当だよ」というご指摘を頂いた。
実は、このご批判こそ、私が聞きたかった「発言」だった。
私は、ピアノもヴァイオリンも弾けない。
無論、音楽大学を卒業したわけではない。
しかし、音楽作りに参加したいと考えてきた。
そして、それを実践しようと考えている。
なぜなら、音楽作りは、演奏者だけで、作るものではないからだ。
音作りの重要な要素に、
会場がある。
東京のサントリーホールと、大阪の、ザ・シンフォニーホールとでは、
音響が全く違う。
まして、ウィーンの、ムジークフェラインでは、全く違う。
また、楽器でも、音は違う。
同じピアノでも、スタインウェイと、ベーゼンドルファーでは、全くの別物だし、
同じスタインウェイでも、アメリカものと、ヨーロッパものでは、全く違う。
そして、製造年代でも違う。
こう考えてくると、演奏される曲が同じでも、その日のお客様によっても、
大きく違っていることが理解できる。
典型的なのは、ニューヨークでのニューヨークフィルと、
ウィーンのムジークフェラインでの、ウィーン・フィルの演奏は、
上手い下手ではなくて、月とスッポンの違いがある。
会場も違うのであるが、聴衆が違う。
そして、その違いが、はっきりと、音の違いに出てくるのである。
例えば、同じピアニッシモでも、カラヤンと、バーンシュタインでは、全く違うし、
ニューヨークとウィーンでは、月とスッポンどころか、月と蟻くらい違う。
何度も言うが、上手い下手ではない。
趣が違うのである。
屡、日本のクラシックファンは、演奏を、上手い、下手で評することが多い。
例えば、「今日の彼の演奏は、下手だった」とかである。
しかし、それが、正しい聴き方なのだろうか。
名人が、忙しくて、手を抜いて演奏するのより、まだ新人が、必死で、演奏するほうが、
曲自体の完成度が低くても、聴衆を感動させることもある。
こう考えてくると、クラシックの音作りは、実に、面白いアートなのである。
今年、2006年の後藤泉は、新しい挑戦が多い。
昨年までは、どちらかと言えば、デュオを中心に展開してきた。
それは、後藤泉に、アンサンブルの基本の「2」を沢山、経験して欲しかったからである。
無論、ヒンク、ドレシャルとのトリオもあったが、
ベートーヴェンオーケストラとの、トリオの対話もあった。
しかし、その双方が、相手をよく知り尽くしている、ヒンク、ドレシャルとのものだった。
そこで、デュオは、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、フルートと、ピアノの相手を変えることで、
後藤泉に、基本の「2」を体験してもらった。
そして、今年は、少し、違う音との組み合わせを考えてみた。
今回のゲーデブラザースとの組み合わせなどは、全く、違う音である。
言うなれば、「大人の音」というべきか、また、「心の音」というべきか。
今日のモーツアルトも、シューマンも、絶品である。
5月には、トロンボーンの名手中の名手、イアン・バースフィールドと、
ヴァイオリンの、これまた若手の名手、ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルクと、
後藤泉の、全く新しい、トリオのスタートがある。
トロンボーンと、ヴァイオリンと、ピアノ。
楽譜から、全く新しく揃えなければならない、難事業だけれど、
面白さは、抜群である。
イアン・バースフィールドは、トロンボーンの名手であると同時に、
編曲も自由自在。
おまけに、ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルクは、
ウィーン・フィルのライブラリアンの要職でもあるから、
楽譜集めは、得意中の得意。
この組み合わせで、ウィーン、ロンドン、東京と演奏旅行を出来るのだから、
後藤泉も、ピアニスト冥利に尽きるものだ。
しかし、一番、面白い思いをしているのは、かく言う、私である。
それこそ、プロデューサー冥利に尽きるということだろう。
名古屋にて。
つづく。
投稿者 hayashiya : 2006年02月17日 07:46