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2006年01月19日

人間の生きる価値について(1)

我々は、何のために生まれ、何の目的で生きているのでしょうか。
歴史上、お釈迦様をはじめ、大勢の人たちが、悩み苦しんできた命題です。
そして、まだ、誰も、この命題に対する答えを出した人はいません。
無論、私などに、この難問の答えを出すのは、不可能です。
しかし、知恵がない者は、ないなりに、問い続けていると、
それなりに、輪郭のようなものが見えてきます。
少し、情勢分析をして見ましょう。

まず第一に、我々は生まれてくる時、一糸纏わぬ、素っ裸で生まれてきました。
どんな偉い人でも、また、どんなお金持ちでも、全く同じ条件です。
そして、面白いことは、死ぬときです。
これまた、どんな偉い人でも、また、どんなお金持ちでも、
死ぬときは、1銭のお金も、財産も、あの世へは持っていけません。

つまり、この世の中は、一種のスポーツか、ゲームのような存在なのではないでしょうか。
そして、その出場するルールは、
全員、同一条件で、素っ裸でスタートです。
そして、この世の中で、入手したすべての財産も、何もかも、最後は、この世に残して退場なのです。

人生ゲームの得点は、幸せか、不幸せか。
どんなお金持ちにも、幸せな人もいますし、不幸せな人もいます。
また、どんな業病の持ち主でも、心の持ち方では、幸せに生きていくこともできます。
大事なことは、その人が死ぬときに、「ああ、自分の人生は幸せだったなあ」と思えるか、
さもなければ、「ああ、自分の人生は、何だったんだろう。苦しいばっかりだったなあ。」と思うか、
なのではないでしょうか。

では、どうしたら、死ぬときに、幸せを感じることが出来るのでしょうか。

歴史を見てみると、かなりヒントになると思います。
世の中で、一見、大成功した人が、その最後の瞬間に幸せだったかどうか。
太閤秀吉を例にとって考えてみましょう。
秀吉は、あれだけの大成功をして、大阪城を築き、位人臣を極め、栄耀栄華を尽くしながら、死ぬときは、迷いに迷い、後顧に憂いを残して、死んで行きました。そして、あれだけの財産を築きながら、息子の秀頼は、若干22歳で、その生涯を終えたのです。しかも、最後は、大阪落城、そして、自刃という、実に、惨たらしい結果でした。これなどは、まさに、栄耀栄華を尽くした果ての、行き着くところなのではないでしょうか。
どうも、富は、一見幸せの元のような気もするのですが、見方によっては、不幸せの元でもあるようです。

ところが、昨今、新聞やテレビのニュースをみていると、またぞろ全国民あげて金儲けに走っているように思えているのは、私だけなのでしょうか。いや、全国民といわず、政府までが、まるで、バブルの再来を期待しているのではないかと、心配になるときがあります。

いや、お金儲けがいけないと云っているのではありません。稼いだ後の、処理の仕方が問題だ、と言っているのです。

バブル経済の崩壊で、十分に痛い目にあったはずの人々が、また同じ道を歩いているのを見ていると、悲しくなります。
持たないことの幸せを、もう一度、考えてみてはどうでしょうか。

さて、文頭に掲げた、大命題です。
我々は、何のために生まれ、何の目的で生きているのでしょうか。
この問いに対して、まだ答えになってはいませんが、少し、とっかかりが出来てきたような気がします。
また、次の機会に、もう少し、探索を深められればと思います。

投稿者 hayashiya : 2006年01月19日 21:58