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2006年01月24日

生きる価値について(2)

我々は何のために生まれて来て、何の目的で生きているのでしょうか。
この大命題を考えているときに、ニュースが飛び込んできた。
「ライブドアの堀江貴文氏逮捕」の報道である。
新聞もテレビも、連日、このニュースで持ちっきりで、些か、食傷気味である。
それにしても、無責任なものである。
堀江社長がではない。
新聞、テレビの報道と、社会の反応がである。
つい先日までの、マスコミの対応振りは、一体何だったのだろうか。
しかも、ひとたび、逮捕されるや否や、この間まで、業務提携したりしてた先が、
「裏切られた」とか、「騙された」とか、称して、今度は、損害賠償だという。
大体、この世の中は、そんなに簡単に、お金がもうけられるのだろうか。
何かのからくりがなければ出来ないことで、本来ならば、そう簡単に、巨万の富が出来るわけがない。
だから、堀江貴文氏と、共同で何かをすると言っていた以上、本当は、同様の考え方の持ち主なのではないだろうか。
人間は、本来、太陽が昇ってから働き、太陽が沈んで、その日の休息をとることを、一日のリズムとして生きてきた。
このサイクルだと、一人の人間が、一日に稼げる額には、限度がある。
そこに、少し、頭のいい人が出てきて、小作を雇うなどして、世の中に、少しづつ貧富の差が出てきた。
無論、人間という生き物は、少しでも、良い生活を求めるものらしく、また、少しでも、豊かになりたいと思うのも、自然の成り行きである。
しかし、物質文明が、必ずしも、我々に、幸せを与えるものでないことは、歴史を見れば、歴然としているのだが、どうも、学校教育自体が、「間違った人生の生き方と目的」を教えてしまっているようである。
だから、堀江貴文氏が、実業と、虚業の区別ができぬままに、虚業に足をふみいれたのに、世間も、マスコミも、誰も、注意もしなければ、批判もしなかったのである。
否、実態は、マスコミも、世間も、この実業と、虚業の違いに気づいていなかったのではないだろうか。
事実、現在、一見、華やかに宣伝されている事業の中に、何と、虚業の多いことか。
堀江貴文氏の言動に乗って、株式に投資した人々も、所詮は、一攫千金を夢見た、同じ穴の狢でしかなかったのではないだろうか。
それよりも、今の日本の青年が、地道に、社会の底辺を底上げする仕事に熱意をもつのではなく、自分たちの地位の向上と、目先の利益の追求にのみ、夢中になることは、太平洋戦争前の、日本の大陸政策にも似た、不安感を感じるのは、私だけであろうか。
堀江貴文氏は、決して、無能な人ではない。それどころか、実に有能な人材である。しかし、その、有能な人材の才能を、虚業に投じさせてしまえば、社会としては、重大な損害である。
学校教育は、本来テクニックを教えるのではなく、精神を教える場のはずである。
それが、いつの間にか、精神を捨てて、技術のみを教える場となってしまった。
それなら、専門学校で十分である。
明治の時代、福沢諭吉、大隈重信、江原素六がいたのに、今の日本に、誰もいない。
さびしい限りである。

投稿者 hayashiya : 2006年01月24日 00:37